- 2017-9-7
- WEB集客
先日、久々にナガシマスパーランドに行ってきました。
昨今の水着事情
さすが日本屈指のアミューズメントパーク。
そこここに、スター級アトラクションがひしめいています。
そして、ナガシマスパーランドの誇る海水プール。
長島温泉くんだりまで、片道4時間もかけて電車で遠征したわけですから、もちろんプールも♪
そして、今の日本の水着事情を目の当たりにし、愕然としました。
事前調査から
- ワンピースは流行らない
- ハイレグなんてもってのほか
そこまでは、しっかりと理解できていました。
わかってはいるけれど、わざわざ水着を買いに行こうとは思いもしなかったんです。
なぜなら、子供のいない中高年には、水着を着る機会など、そう頻繁には訪れないから。
という訳で、家の中を捜索し、ハイレグワンピースにショートパンツを合わせて凌ぐことに。
そして、いざプールへ!そこで見た驚きの光景。
世の中、まさかこんなことになっているとは・・・。
- ワンピースなんて着てる人は年寄りも含めて、一人もいない(大げさではない)
- ビキニ、あるいは服(としか言いようがない)の人しかいない。
当にカルチャーショックです・・・。
時代が変われば、ニーズも変わる、価値観も変わる
「たかが水着」「されど水着」。
20年も経てば水着の流行が変わるだけでなく、「水着に対する考え方」も変わるということ。
もちろん、今も昔も、水着に多少の「ファッション性」を求めることに変化はありません。
一方で、
- 20年前、水着は「水に入るための機能性を備えた衣服」だったような気がするのですが、
- 今、水着は「紫外線から身を守るための防護服」へと変化を遂げています。
その結果、
- ファッション性を追求したビキニ
- 紫外線から身を守るための「服としか形容しようのない水着のようなもの」
へと、水着は見事に二極化を遂げました。
「水着の変化」を論じたいわけではなく、時代の変化と共に
- 人のニーズや考え方、
- ものの在り方、
- そして、世間の常識さえも
大きく変わってしまうということなんです。
ニーズに合わせた発信
職業柄、様々なお会社のホームページを拝見します。
「一体、いつ作られたものなのだろう?」と心配になるホームページを、ちらほら目にします。
余計な心配かもしれませんが、「ホームページの存在意義」をご存知ないように思うのです。
ホームページとは、今や「会社の顔」です。
実際には、どんなに立派な会社であっても、
- ホームページが貧相であったり、
- 時代を感じさせるものであったり、
- 何が言いたいのかわからないものであったりすると、
ホームページの印象は、そのまま「会社の印象」となってしまいます。
- 時代遅れのホームページは、時代遅れの会社の印象を与え、
- 貧相なホームページは、貧相な会社の印象を与えます。
もちろん、
- 10年前、20年前はそれがスタンダードだったのかもしれないし、
- 充分、ホームページとしての役割を果たしていたのかもしれない。
でも今、それらの化石的ホームページを訪れたユーザーは、
- 時代遅れの会社に、
- 貧相な会社に、
何かをお願いしたいと思うでしょうか。
つまり、「会社の顔」であるホームページ が、時代のニーズに合わせたものになっていなければ、
「誰からも選ばれることはない」ということなんです。
ホームページの位置付け・ホームページの処遇
経営悪化の折、「経費削減の標的」となりやすいホームページ。
この「経費削減効果」とは、一時的なものです。
一方で、放置されたホームページは 着々と「機会損失」を積み上げて いきます。
とは言うものの、
- 経費は「現金出費」が目に見えて発生しますが、
- 着実に積み上げられている「機会損失」による損失額は目に見えないものです。
だから、「これが正しい」と思ってしまいがちです。
例えば、
- ホームページの見直しにかかる経費を100万円削減し、
- 機会損失は年に10件発生し、お客様1件あたり平均10万円の売上が期待できると仮定
すると、
- 10万円/1件 × 10件/年 = 100万円/年の機会損失。
- 10年続けば、100万円/年 × 10年 = 1000万円分/10年の機会損失。
- お客様との長い取引になる業種であれば、その被害金額は無限大∞。
これは決して、作り話ではありません。
極端に誇張した話でもありません。
ただし、今、何件の機会損失が発生しているのか、確認する手立てはありません。
「わからないことに、投資は出来ない」それも一理あるでしょう。
私達から、1つ提案があります。
一度、同業他社のホームページをいくつかピックアップして、お客様の気持ちになって評価してみてください。
御社のホームページと、同業他社のホームページを見て、「自分なら、どこに仕事をお願いするだろうか?」と。
それがきっと、真実です。