- 2017-9-5
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15年前、木村正雄さんが塾長を務められる「有名塾」の1期生として、3ヶ月ほど、
社会人のための塾に通っていたことを、ふと、思い出しました。
「有名塾」入塾のきっかけ
木村政雄さんは、
- 漫才師のやすきよのマネージャーを経て、
- 吉本興業常務取締役となり、
- 2002年同社を退社。
- その後、個人事務所を設立
されたそうです。事務所設立後は、
- 人材育成事業に、
- 講演会の開催、
- テレビ、ラジオ出演、
- 京都精華大学理事、
- 大阪府堺市顧問
を務められていたそうです。
木村塾長曰く、有名塾の「有名」の反対語は「無名」ではなく「匿名」。
「自分の名前」で仕事をしましょう、という主旨の塾とのことでした。
この塾を知る事になったのは、
- きっと、特別のプログラムが用意されているし、
- 塾の開校に伴う「1期生」には価値があるし、
行ってみる気ない?と知合いに誘われたのがきっかけ。当時、30代半ばで、
- 仕事もぼちぼち、プライベートもぼちぼち。
- だけど、なにかが違う気がする。
- このままじゃいけない気がする。
なんて「もやもや」を抱えていたので、その「もやもや解消ができれば」と入塾を決意。
よくある甘えた「自分探し」というやつかもしれません。
「有名塾」で得たもの
有名塾では、普段なかなか拝聴に預かれない「貴重な講演」が数々開催されました。
1期生だからこその優遇でしょうか。
「シンクロ界の母」と称される井村雅代コーチを始め、蒼々たる著名人の講演に触れ、何度も鳥肌が立つほどの感動をしたのを覚えています。
- 知らない人が100人超集まって、
- 様々な刺激(著名人の講演)を受けつつ、
- 最後はチームを組んで、ひとつのことをやり遂げる。
有名塾の流れはざっとこんな感じで、人間力育成塾の王道、というところでしょうか。
当時、パナソニックと言う巨大企業に勤めていた私は、大きな意味で
- 自分と似た価値観、考え方を持ち、
- 似たような環境で過ごし、
- 同じような経験をしている
人達と、共に過ごしていたわけです。
私に限らず、誰でも仕事や友人や家庭だけで過ごしていたならば、私と同じ状況に陥ります。その事実に気付いているかどうはは別にして。
そんな閉ざされた世界にどっぷりはまっていると、雑種多様な人の輪に入ることで、
- カルチャーショックを受けたり、
- 逆に、新鮮な刺激を受けたり、
- 自分とは異なる「意見や価値観」を受け入れられなかったり、
- 逆に、新しい発想に心ときめいたり。
などの効果が期待できそうなものですが、
- あまりに講演してくださる先生方のパワーが強烈で、(ここだけの話、周りがかすんで見えました)
- 100人超の雑種多様な仲間に対する「違和感」も「カルチャーショック」も「驚き」も感じず、
- ただ「知らなかった人」と友達になり、
楽しく過ごしてしまったような気がします。これはこれでいいのでしょう。
そして、私が得たもの。
- いろんな職種の、いろんな価値観を持つ友達が増えたこと。
- 「著名な人」の話を聞いて感動する一方で、「自分自身の可能性」に冷めてしまったこと。
結局、「何かをやり遂げる使命」を与えられた人と、私は違う。
私に与えられたのは凡人の人生なのだ、と諦めた瞬間。
ある意味、悲しい形で「もやもや」は解消された、と言えるでしょうか。そして、15年が経過。
15年前にもらった手紙
先日、溜まっていた写真、手紙の整理をしていたところ、懐かしいものを発見。
「有名塾」で10名ほどのチームを編成し、与えられたテーマを共に考え、共にまとめ、共に戦った(※)メンバーからの手紙。
※ 10チーム対抗形式で、あるテーマを題材にしたプレゼンによるコンテストあり
そこに記されていた「客観的に見る私への評価」。それは「Producer:演出家」。
「みんなで話し合い、なんとなく決まった内容を、どうなることかと心配していました。仕事の合間を縫って、数日間で整理し、まとめ上げてくれた、その能力を称えます」とコメントが添えられていました。
今でこそ私にはProducer的素養が(レベルはともかく)備わっていると、多少なりとも自覚があります。
ところが、その当時の私は、
- 「誰にでも出来る当たり前」のことをしただけだと思っていたし、
- 褒めることがないから、こんなことを書いてくれたのだろう、
くらいに考えていました。なんともひねくれています。
私に「何も与えてくれなかった神様」を恨んでいたのかもしれません。
- その頃の私にとって「Producer」とは、舞台演出家や構成作家など、非常に限定的に捉えており、
- 所謂仕事で必要となる「まとめる能力」やら「表現する能力」など、当たり前の能力で、特に魅力的なものではなく、
- 私個人は、ただ雲の上を見て、ただすごい人を羨ましく思い、何故、私は凡人なんだろう?と諦めていたんです。
- 自分の名前で仕事をするという「有名」ではなく、Famousの「有名」が欲しかったのかもしれません。
今も「有名人」への憧れは、燻り続けていますから・・・。生まれつきなんでしょうね。
あれから15年が経過して、今、思うこと
その後、私の「価値観」や「考え方」が大きく変わりました。
経験や年齢に伴う、変化ももちろんあるでしょう。
でも、一番大きな転機は会社を辞めた事。
- 会社を辞めてよかったとか、
- 会社を辞めなければよかったとか、
そんな短絡的なことではなく「会社を辞めなければ、絶対に見えなかったものがある」ということなんです。
そもそも、Producerという評価に、
- 今の私は価値を感じ、嬉しいと思う。
- 15年前の私は、Producerと言われても、「ふーん」と受け流してしまっていた。
これって、とても残念なことだったなと、今では思うんです。
なぜなら、ビジネスにおいての「Produce」には
- 世間からの大きな需要があり、
- 「Produce」が得意な人は、この世の中には少なく、
- だからこそ、「Produce」出来ることは、ひとつの特筆すべき才能である。
これを自覚していなければ、ただ埋没する けれど、
自覚しているだけで、
- 才能を活用する方法を、積極的に考えられるし、
- いろんな方法で、世の中に訴求していくことができるし、
- なによりたくさんの人のお役に立つことができる。
何事も「自分を正しく知ることから始まる」と言いますが、一般的に「自分の悪いところを正しく認識する」意味で使われていることが多いと思います。
本来は、
- 自分の悪いところ(足りない所)を正しく認識するのみならず、
- 自分のいいところ(才能)も、正しく認識する必要がある。
オリンピック選手になるとか、プロ野球選手になるなどの「際立った才能」だけでなく、自分が当たり前に出来ることも含めて。
- 「自分の当たり前」は、「他人の当たり前」とは限らない。
- 既成概念やら、偏見やら、思い込みやら、思い違いやら、全部捨てちまえ。
でも、「捨てる」のは容易ではないんです。だって、長~い歴史があるから。
- 人から「あなたはすごいよ、才能があるよ」と言われても、信じようともしないんです。
- 自分の悪いところを認めるのと同じくらい、自分の才能を認めるのは難しいことなんです。
それが出来るタイミングこそ、自分の「立ち位置が変わった時」だと思うんです。
ホームページだって同じこと。
ホームページを見ると「そこそこきれいだな」と思うホームページでも、大きく2つに大別できると思います。
- 1つは、当たり障りのない一般的な訴求
- もうひとつは、具体的でわかりやすく鮮烈な訴求
どっちがいいかは、言わずもがな。
具体的でわかりやすい訴求が出きない理由は、
- 「正しく自分を(自分の会社を)理解していないから」だと思います。
- 付け加えるなら、正しく周りの人(競合他社)を理解していないからだと思うんです。
つまり、何も知らないということ。だから、
- 自分の立ち位置がわからない。
- 自分の(会社の)優位性がアピール出来ない。
これは大問題ですよ。大いなる損失です。
何よりも大事なことは、自分の(会社)を正しく理解すること。
- 私達は、お客様の言うことを鵜呑みになんてしません。
- 絶対、お客様自身が気付いていない魅力、見つけ出してみせますよ。
それが私達の仕事ですもの。