- 2017-7-6
- ブログ記事投稿
ブログの継続発信 その内訳
今、継続的に
- ブログ記事を発信しています。
- メルマガを配信しています。
傍から見れば大したことには見えないと思います。
今の現状で出来高を説明すると
- 2,000文字程度の「Web集客」に関するブログが週に2件
- 1,000文字程度の「ホームページ地位向上に向けた取組み実況中継」に関するブログが週に1件
- 2,000文字程度のメルマガ1通
週の出来高は、文字数にすれば7000文字程度。
原稿用紙にして18枚程度。「量」で判断するなら少ない。
それでも毎週金曜日を迎えると、個人的には「やり切った感」なんですよね。
「やり切った」と言うよりは、「今週もなんとかなった感」と言った方が正しいかもしれません。
毎週末、「来週発信するテーマはもう思いつきそうにないなー」頭は空っぽ。途方に暮れています。
そんな一週間の繰り返し。
最近、妙に気になること
そんな毎日を送る中、ふと気になったことがあります。
「一緒にするな」と怒られそうですが、世の中のクリエイティブな人達のことがとても気になってきました。
作家に作詞家、作曲家に漫画家・・・
クリエイティブを職業にするってどんな心持なんだろうと。
例えば作曲家だとして、今週なんとか1曲、作り上げました。
一曲作り終えた時、
- 「次の曲はもう出てきそうにないなー」と思っているのか
- 既に次の曲のイメージが溢れ出てきているのか
- あるいは、何かのテーマが与えられてはじめて、イメージが沸き起こってくるのか
私の場合、毎週金曜日を迎える度に「あー今週もなんとか乗り切ったー。もう何も発信できそうにもないわー。」
にも拘わらず、翌週もまた、同じ感想で金曜日を迎える。つまり、毎週限界。
ここから類推するに
- 人は切羽詰まらないと何も出てこないが、
- 必要に迫られれば何か出てくる
と言うことだと思うんです。
私もこの任務から解放された途端、なんにも出て来なくなると思うんです。
切羽詰まれば誰にでも出来ると思う根拠
私事ではありますが、
- 3歳からピアノを始め、
- 5歳から音楽教室に通い、
- 7歳からは2人のピアノ講師に従事し、
- 18歳で音楽大学に進学
- 22歳で無事、卒業
私の意志とは関係なく、音楽の英才教育を施されて成長しました。
そんなことから
- 気付いた時には「絶対音感」で
- 聴音(音を聞いて、楽譜に起こすこと)なんてお手の物
実は中学生になる頃までは、こんなことくらい誰にでも出来ることだと思っていました。
一方で、
- 自ら作曲しようと思ったことも
- 作曲の仕方を習ったことも
- 作曲に興味を持ったもとも
なかったので、今のこの瞬間まで、作曲できると思ったことは一度もありません。
私にとっての音楽は、
- 人の作ったものを奏でるものであり、
- また、人の奏でたものを愛でるものではあるけれど、
- 自ら生み出すものではない。
という位置づけです。
もちろん、その位置づけは今でも一㎜も変わることはありません。
当然のことながら、売れっ子作曲家になれるとは全く思いませんが、
作曲しなければならない状況に追い込まれれば、作曲できそうな気がします。
- 音が認識できる
- 楽譜も読めるし書ける
という基礎的な能力を有しているという意味で。
そんなもんじゃないかと思うのです。
私の思う「ブログ継続発信」の心得
今の私もそんなもんなんですよね。
- 日本語が読めるし書ける
- ホームページの「果たすべき効能」と「アプローチ方法」を知っている
という基礎的な能力を有しているから、ブログが発信できる。
- 爆発的に世間から認められるブログの発信ではなく、
- 経験値、ノウハウなど、意味のある情報を、継続的に発信すること
が私の果たすべきミッションなので、
- やる気になるか
- やる気にならないか
「やり切る覚悟」が「出来るか」「出来ないか」を決めるということなんです。
もちろん、「立場」も「求められている品質」も全然違うけれど、クリエイティブを仕事にしているアーティストと言われる人達にも、同じ法則が当てはまるのではないか、と想像してみたんです。
「そうでも思ってなきゃやってらんない」ってのもあるかもしれません。
私も「アーティストみたいなもん」みたいな。
- ものは考えよう
- ものは捉えよう
ではありませんか。そんな風に考え、勝手にアーティストを気取ってみる。
これもひとつの立派な「ブログ継続発信の心得」ではないでしょうか?
参考になれば幸いです♪