その昔、私の価値観は凝り固まっていました。
「努力」など恰好悪いと。「努力」などせず、素晴らしいパフォーマンスを披露出来ることこそが素晴らしいことだと。
ある衝撃的な事実
「努力などしなくても、人より優れている」ということに価値がある、と信じていました。
「死ぬほど勉強したのに、成績が上がらない」など、恰好悪すぎると思っていました。
ところが、最近少し、私の価値観に幅が出てきました。
- 今でも「努力などしなくても、人より優れている」ことは、素晴らしいと思う一方で、
- 努力しても、努力してもなかなかうまく行かない人も「美しい」と感じるんです。
具体的な話へと移ります。私の従妹の話です。
- 叔母の話では、従妹が幼稚園に通っていた頃、面談の際、「〇〇ちゃんが出来たらみんな出来る」と〇〇ちゃんを判断基準にしていますと、先生に言われたそうです。
- また、私の妹の話によれば、従妹から直接「私、授業聞いててもなんにもわからなないのよ。みんなはそんなことないんでしょう?」と言われたそうです。衝撃が走った・・・んだそうです。
快進撃の始まり
様々な情報から察するに、彼女に搭載された能力は、お世辞にも素晴らいものではないと思われます。
ところが、彼女には素晴らしい才能が備わっていました。
- 「自分が周りの人より劣っている(かもしれない)」ことを素直に認める才能
- 自分が出来るようになるまで、無我夢中で努力するという才能
そして彼女は母親に願い出ます。
「私は学校の授業についていけない。だからお母さん、毎日私に勉強を教えて」と。
従妹と正反対の母親(叔母)は衝撃を受けます。
- 授業など聞かなくても誰より先に理解できる能力に恵まれ、
- 世の中を馬鹿に仕切って生きてきた
「なんでこの私から、あんな真面目であほな子が生まれたんやろか?」と信じられない様子。
「努力」とはかけ離れた「天才の叔母」の娘が「超どんくさい生真面目」なのだから、人生何が起こるかわかりません。
素晴らしい「忍耐力」と「継続力」
叔母の意思に反し、彼女の勉強は怠ることなく、黙々と続きます。
- 小学生になった頃から、毎日、学校から帰宅後、少なくとも2時間の勉強をこなします。
- 誰に言われなくても、毎日自ら机に向かいます。
- わからないことがあれば、わかるまで叔母に質問します。
- 質問されて答えないわけにはいかないから、結局教えることになります。
とうとう、従妹が高校を卒業するまで、叔母の試練は続くことになったのです。その歳月丸12年。
従妹の執念には頭が下がります。
- 高校は、公立の名門校に無事合格しました。
- 大学だって、私学の名門校に進学しました。
幼稚園で「出来ない子の代表」で「小学生の授業についていけなかった」彼女が、です。
そんなことを思うと「やってないからできない」なんて言い訳は、なにより恰好悪いではないですか。
- 「出来ない」のなら「出来ない」ことを認めて、
- ひたむきに頑張る、出来るまで頑張る、納得いくまで頑張る。
その姿はとても潔いし、美しいし、そして貴いと思うのです。
気付くのが遅すぎるかもしれませんが、今となっては、彼女のことを尊敬して止みません。
仕事に求められる能力
仕事に求められる能力は、業種によって異なりますが、どんな業種であっても、
- 飽くことなく、
- 納得いくまで、
- 遣り続けることが
必要とされます。
彼女は大学卒業後、5年間ほど銀行勤めの後、結婚。今では立派な二人の息子の母親です。
恐らく、母親としても彼女の持ち合わせた「忍耐力」「継続力」は余すことなく発揮されていることと思います。
私の今の任務もひたすら「忍耐力」と「継続力」を必要とします。
- 安易な見返りを求めず
- 目指すべきゴールだけを見据えて、ただただ1歩ずつ前に進む
- 進んでいるのかどうかの確認もままならない
これを「美しい」と感じる境地(自己防衛が働いているのかもしれません)。
しかし、私も立派に成長したものです。
「美しい」だけではない
このブログの継続投稿、「忍耐力」「継続力」が必要で「だからこそ美しい」だけではないんです。
- なぜなら、絶対的に私の表現力が向上してるんです(また自画自賛?!)。
- そして、話題も豊富になってきました(自画自賛のオンパレード!!)。
何故、私はそんなに成長したのか(あくまで自己評価)。
世の中の政治や事件、天気に至るまで、
- 何か「情報発信ネタ」は転がってないものか?と
- 今まで聞き流していたことを、なんならメモを取りながら聞き取り、
- 発信の際には、裏付けを取る為、再度ネット検索で情報収集するなど
情報収集に余念がないため、記憶に強く残るのです。
記憶に強く残ることで、引き出しが増える。話題が増える。
- 当ブログ、真剣に読んでくれるのは弊社スタッフだけであっても、
- いくら発信しても何の手応えもなくても、
- 私の成長があるのだから、
結局取り組んでいて、損はありません。
もっともっと、腕に磨きをかけて魅力的になってやります!