ブログ記事投稿:「忍耐力」と「継続力」の賜物

その昔、私の価値観は凝り固まっていました。
「努力」など恰好悪いと。「努力」などせず、素晴らしいパフォーマンスを披露出来ることこそが素晴らしいことだと。

ある衝撃的な事実

「努力などしなくても、人より優れている」ということに価値がある、と信じていました。
「死ぬほど勉強したのに、成績が上がらない」など、恰好悪すぎると思っていました。

ところが、最近少し、私の価値観に幅が出てきました。

具体的な話へと移ります。私の従妹の話です。

快進撃の始まり

様々な情報から察するに、彼女に搭載された能力は、お世辞にも素晴らいものではないと思われます。
ところが、彼女には素晴らしい才能が備わっていました。

そして彼女は母親に願い出ます。
「私は学校の授業についていけない。だからお母さん、毎日私に勉強を教えて」と。
従妹と正反対の母親(叔母)は衝撃を受けます。

「なんでこの私から、あんな真面目であほな子が生まれたんやろか?」と信じられない様子。
「努力」とはかけ離れた「天才の叔母」の娘が「超どんくさい生真面目」なのだから、人生何が起こるかわかりません。

素晴らしい「忍耐力」と「継続力」

叔母の意思に反し、彼女の勉強は怠ることなく、黙々と続きます。

とうとう、従妹が高校を卒業するまで、叔母の試練は続くことになったのです。その歳月丸12年。

従妹の執念には頭が下がります。

幼稚園で「出来ない子の代表」で「小学生の授業についていけなかった」彼女が、です。
そんなことを思うと「やってないからできない」なんて言い訳は、なにより恰好悪いではないですか。

その姿はとても潔いし、美しいし、そして貴いと思うのです。
気付くのが遅すぎるかもしれませんが、今となっては、彼女のことを尊敬して止みません。

仕事に求められる能力

仕事に求められる能力は、業種によって異なりますが、どんな業種であっても、

必要とされます。

彼女は大学卒業後、5年間ほど銀行勤めの後、結婚。今では立派な二人の息子の母親です。
恐らく、母親としても彼女の持ち合わせた「忍耐力」「継続力」は余すことなく発揮されていることと思います。

私の今の任務もひたすら「忍耐力」と「継続力」を必要とします。

これを「美しい」と感じる境地(自己防衛が働いているのかもしれません)。
しかし、私も立派に成長したものです。

「美しい」だけではない

このブログの継続投稿、「忍耐力」「継続力」が必要で「だからこそ美しい」だけではないんです。

何故、私はそんなに成長したのか(あくまで自己評価)。
世の中の政治や事件、天気に至るまで、

情報収集に余念がないため、記憶に強く残るのです。
記憶に強く残ることで、引き出しが増える。話題が増える。

結局取り組んでいて、損はありません。
もっともっと、腕に磨きをかけて魅力的になってやります!

 

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