どうしても、自分本位で考えてしまうんです。
相手の気持ちになって、伝えるということ
人は「自分を軸」に物事を考えます。
その時の自分の知識、自分の置かれた環境、自分の経験などがベースになります。
一生懸命考えているつもりでも、自分中心で、自分の枠から出られない。
だから、相手に伝えるって案外難しいものです。
他人の不幸への対応
先日、元気そのものだった父が突然の病に倒れ、約1ヶ月の闘病の末、帰らぬ人となりました。
その悲報を受けた友人・知人の反応。
- それぞれに私の気持ちを汲み、
- 慰めの言葉をかけてくれる。
そこに「こんな時に気の利いた言葉は見つからないけど」と添えて。
こんな時に気の利いた言葉が見つからない。
- そんなものだと思っていたし、
- 何の疑問も抱いてなかった
というのが私の正直な感想です。
そんな時にもらった一通のメール。
そこには、落ち込んでいる私が求めている言葉がありました。紹介してみたいと思います。
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お疲れ様です。
心中お察し致します。
親ではないので少し違いますが、僕、初めて家族が亡くなったのが、一緒に暮らしてたおばぁちゃんでした。
僕めちゃくちゃ、おばぁちゃん子で、僕が19歳ぐらいに亡くなったのですが、
悲しすぎて逢えなくなるのを受け入れられなくて、ずっと泣いてました。ずっーと。
受け入れるまで随分かかりましたが、大人になり色んな人と出会う中で、ツライ事があったりしたら、
ばぁちゃん心配するから、頑張らないと、と思うようになりました。
僕は山本さんのお父様がどのような方かわかりませんが、器の大きな優しい男の方だったのかなぁと思います。
山本さんの笑顔を拝見してると、僕はそう思いますよ。
出会い別れ全てが人生ですよね。
悲しくて寂しくてたまらないと思いますが、ゆっくりとまた笑顔に戻って頂けたらと思います。
また飲み誘って下さい。
いつでもお待ちしております。
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経験者の言葉の重み
このメールをくれた人は、日頃からとても優しい人です。
- 常に自分のことより周りの人を優先するし、
- ちょっと自分を責める傾向もあり、
ちょっとハラハラしたりもします。
そしてなにより、普段は控えめに、隅っこで笑顔で座っているような人。
そんな人が、私を窮地から救ってくれるのです。
普段は言葉数少なくても、いざと言う時、心にぽっかり空いた穴を埋めるような言葉をかけてくれるのです。
本当にありがたいことです。
必要な「時に」必要な「ものを」必要としてる「人に」
結局、心が満たされるということは、こういうことなんだなーと思うんです。
そして、
- 親戚付き合いも、
- 友達付き合いも、
- 仕事上の付き合いも
結局全部一緒だと思うんです。
そしてやっぱり
- 「選ばれる人になる」
- 「必要とされる仕事をする」
ってことは、相手の求めていることを本気で追及するってことなんだなと思うんです。
彼のメールを通じて、改めてしみじみと実感した次第です。