経営コラム① 600倍の難関突破し、ノースウエスト航空に就職の不思議

常に真剣そのもの、これさえやればうまくいく!絶対正しい。と信じて、ありとあらゆることにチャレンジしてきた20年。そしてそれは失敗続きの20年。よくもこれだけ失敗ネタがあったものだと思います。これまで応援してもらったたくさんの方々、お世話になったたくさんの方々への感謝を振り返ってみたいと思います。

◆ノースウエスト航空の就職試験を受けるきっかけ

当時、私には就職意思はなく「音楽で生きていこう」と浅はかなことを考えていました。友達の「ノースウエスト航空の就職試験受けに行こうよ」という誘いに、「社会勉強」くらいの軽い気持ちで「会社説明会」に足を運ぶことになりました。
面接会場に向かう道中、友達に「日本の航空会社ってJALとANAとJASの3社で合ってる?」などと、アメリカの航空会社の面接に向かっていることすら理解していない状態。

◆面接でお門違いの発言連発、内定ゲットの摩訶不思議

何故かコマを次々と進め、3次面接。今でも忘れはしない「25万円は英語でなんと言いますか?」という質問。(えっ?!万?そんなの学校で習ってない。とぅえんてぃふぁいぶ・・・みりおんって百万やな?なに?えん???)と結果、間違った答えを導き出したけど、何故かパスし、4次面接へ。

※ 正解:two hundred fifty thousand yen → 250,000円、あるいは250千円。経理上の記載は世界標準なのか。納得。

4次面接も何故かパスし、とうとう迎えた東京オフィスでの5次面接。1対1の面接会場に現れたのはでっぷり太った白人のおじさん。とうとう来た、外人が来た。頭は真っ白。しかも、1対1・・・。殆ど記憶はなく、覚えているのは最後のワンフレーズ。
Do you have any questions?
答えた返事は No thank you.(絶対、違う気がする・・・)
そのあとの記憶は東京駅のホームで新幹線を待っている自分の姿だけ。

そんな5次面接を経て、受かる要素がどこにも見つからないまま内定をゲット。一体何が起こっていたのでしょうか・・・

◆評価されたのは「度胸」と「個性」!?そして時代背景

思い当たるとすれば、1980年代後期、日本はバブルで沸き立ってました。後にも先にもない最大の売り手市場。そんな中、日本企業(ノースウエストは外資ですが)は採用において少しの冒険を試みていました。「個性」「独自性」が大事だと。今までの採用基準では「個」を活かせないということなのでしょうか。その冒険、あるいは博打が私に「ノースウエスト航空合格」をもたらしたのかもしれません・・・。

◆ノースウエスト航空でのサラリーマン生活

こうして全く英語が話せない私のノースウエスト航空でのサラリーマン生活がスタート。最初の半年間、英語でかかってくる電話を片っ端から切りまくり、随分困った日々を送ることになります。

半年経った頃、もともと働く気なんて全くなかった私の中で、突如、出世意欲が芽生えます。「如何に出世するかが人生の勝負だ」と偏ったやる気をみなぎらせます。適当な言葉は見つかりませんが、私が目を付けた先輩を金魚のふんのように追いかけまわし、盗める技は全て盗む作戦を展開。何か問題が発生すれば、見逃しのないように目を光らせ、対応方法を把握する。とにかく早く、独り立ちしたい!とにかく早く担当を持ちたい!その一心でした。

◆目覚めるアドベンチャーライフへの渇望

異端児だった私は自分なりの方法で、仕事に慣れてゆくわけですが、元々の性質が災いし、そんな仕事にも2年位で飽きてしまいます。24時間働く気満々で自分の「情熱」をもて余す日々。この「消化不良」が後のアドベンチャーライフの発端となります。

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