先日、NHKの特集「二枚目の名刺~働く私の自分探し~」を見て、抱いた感想があります。
ご参考:ETV特集「二枚目の名刺~働く私の自分探し~」
二枚目の名刺とは?
NPO法人 二枚目の名刺 が提唱するこの活動は、
会社における立場だけでなく、もうひとつ、自分のお役立ちを探そう、という無料奉仕活動。
この取り組みに参加した人は、既に400人を超えるんだそうです。
この取り組みに参加しようと思った動機。
- 会社における立場に不満があるわけではない。
- それどころか、会社での経歴も長くなり、それなりに自分の居場所は確保できている。
- だけど、何かが足りない、何かが充実感に満たされていない、と感じてしまう。
- もっと、誰かのお役に立ちたい、という想い。
※ 少し表現方法は違ったように思います。
私の経験上、一つの組織に属して一定期間が経過してしまうと、
- 緊張感がなくなり、苦もなく対応出来てしまうようになると共に、
- 自分の位置付け(本当の実力)を見失ってしまいます。
そして、この会社だから通用しているだけかもしれない、という不安が芽生えます。
私の場合も、大卒、新卒入社で24年間同じ会社に勤務し、
自分の能力は世間で通用するものなのか?大きな不安を抱いていました。
会社の文化・風土
経過年数、人数増と共に、会社独自の文化や風土が出来上がっていきます。
この文化や風土が、組織運営を後押しすることになったり、妨げの原因となったりします。
長く所属するほど、いやでも、この文化、風土に染まっていきます。
- そんな文化、風土だから、
- 会社独特の評価基準だから、
- 会社の事情がよくわかっているから、
など、井の中の蛙状態がもたらす「この会社だから、役に立っているだけかもしれない」という不安。
一方で、組織は大きくなればなるほど、
- 規制事項は多くなり、
- 風通しも悪くなり、
- 無駄に調整事項も多くなり、
「遅くて重い組織」になっていきます。
結局、自分一人の力では「変えたい」と思っても変えられない。
何度か無謀なことにチャレンジした挙句、さんざん痛い目に合い「事なかれ主義」に走る人も多いものです。
熱意の矛先
「事なかれ主義」に走れば、人のお役に立ちたい、という熱意(人間の本能?)は、会社の中では満たされなくなっていきます。
その結果、そのはけ口を外に求めることになるのでしょう。
そんな人達がこれまで「二枚目の名刺」で活動してこられたのではないかと思います。
番組の中で、
- 「この活動を始めてから、会社での仕事に対する変な執着心がなくなり、いらいらしなくなった」と言い、
- 「それはいいことだけど、本当はもっと会社で熱くなれってことなのかもしれない」と自嘲する
とても正直な感想だと思います。
「二枚目の名刺」は熱意を持て余している人に
- 「熱意を発散する場」を提供することで、
- 無償で「時間」「知恵」「労働」を提供してもらう
「自意識」をくすぐる作戦、うまいこと考えたものだなーと感心します。アイデアには脱帽です。
ただ、とても残念な一面も。
- 熱意を仕事で発揮できれば、日本の企業はもっと元気になれる筈。
- 自分の仕事で、もっと熱く活躍したいのに、出来ない人がたくさんいるこの現実。
- 何故、そういう人を会社はもっと活かすことが出来ないのか?
そんな疑問を抱いてしまいました。
私の実体験より:評価基準の様変わり編
私自身、大企業の会社員として感じた「やるせなさ」を思い出しました。
私達が入社した1990年はバブルの絶頂期。
売り手市場で「新卒」というパスポートさえあれば、どこにでも就職できた時代。
そんな追い風に乗って、大した苦労もなく就職。
就職後、甘い幻想は打ち砕かれ、「働くこと」の現実と向き合うことになります。
苦労しつつも、少しずつ自分のお役立ちを見つけ、自分の居場所を確保します。
時は経過し、グローバル化の波が容赦なく押し寄せます。
「コミュニケーション能力」には通常、様々な能力が含まれているものですが、
いつの間にやら「コミュニケーション能力 = 語学力」となっていました。意味するところは、
英語が巧に使えなければ、それ以外のコミュニケーション能力があっても意味ない、ということでしょう。
そして、会社に新しく入社してくる人は
- 外国人
- 帰国子女
- 外国の有名大学卒
その結果、
- 職場の外国人率が急騰し、
- 「ドメスティックな仕事には、なんの価値はない」という価値観がはびこり、
- 外国人とコミュニケーションが取れない人には価値がない、という風潮が蔓延。
そんな中、急にやる気が失せていくのを感じたものです。
- でも、今のこの安寧の地を捨てる勇気はない。
- 何やら急激に自分の立ち位置は揺らいだけれど、
- それでも自分の居場所はしっかり確保されている。
- 毎日やるべきこともある。
- 必要としてくれる人もいる。
- 給料だって悪くない。
- しかも、これからいい条件で転職出来るような年齢ではない。
いろんなことが頭の中を駆け巡ります。
- とりあえず、自分の今の仕事をしっかりやろう。
- もっと、私でなければ出来ないことを、極めよう。
そんなことを心の中でつぶやいてみるのです。
それでも、その時は会社を辞めよう、という発想には至らなかったのです。
私の実体験より:会社を辞める編
それから5年後、私は会社を辞めました。前述のグローバル化は関係ありません。
ただ、会社を辞めてから、私が学んだことは多すぎるのです。
- 世の中は私の想像以上に厳しいということ。
- お金を自分の力で稼ぐ、という本当の意味。
- 本に書いてあるマーケティングではなく、本当のマーケティングとは何か、ということ。
そして何よりも衝撃的だったことは、自分の培ってきた能力は、どこに行っても通用するという事実。
井の中の蛙であった私は、
- その能力を「自慢に値するもの」だとも思っていなかったし、
- その能力を「ひけらかす術」も持っていなかったし
- なにより「ひけらかす必要性」もありませんでした。
荒野に放たれ、窮地に追い込まれてはじめて、
- 自分の能力をひけらかす必要性を感じ、
- その能力をフルに発揮する場を得ることで、
その能力は「実践で活きる能力」へと更に進化を遂げることになりました。
- 会社を辞めた後、それまでやりたかったことを仕事に選び、
- お金を稼ぐことのむつかしさを知ると共に、
- 私の「やりたかった仕事の現実」に絶望することになります。
この一連のステップがあったからこそ、その後、弊社で私の能力が開花します。
会社を辞めてから1年後、縁あって弊社にたどり着きます。もちろん、その選択も
- 決して楽な選択ではなく、
- 弊社の実情を知り、
- いろんな意味で一時途方に暮れます。
そんな中、弊社社長は「なんでもようこちゃんの好きなようにやって欲しい」と私に告げました。
- 「好きなようにやる = 会社の運命を背負う」ということです。重大責任です。
- でも、これは案外、私の性に合っていたんです。
- そして何より、弊社社長は「好きなようにやって欲しい」という前言撤回はしない「潔さ」があるのです。
色んな条件が整いました。
- 私は様々なルールから解放され、
- のびのびと失敗を恐れず(失うものもないという気楽さも手伝い)、
- 自分の能力を信じて、
- 今までやったこともないことにまで手を出し、
それらを通じて、実践的な能力を開花させることが出来たのだ、と自己分析しています。
自分自身の「能力」や「やる気」も大事ではありますが、その受け皿となる環境 がなくては意味がありません。
やっぱり「二枚目の名刺」よりも「本来の名刺」
- 会社で「不満ではないほどの小さな不満」のはけ口を外に求め、
- そこで誰かのお役に立つことで、充実感を得る
これも、ひとつの選択肢ではあると思います。
一方で、見方を変えれば、それは体の良い「逃げ」でもあります。
全てを手放し、自分を追い込むことでしか、たどり着けない境地がある、と思うのです。
何故なら、
- 前職で、私は私なりに頑張っていたつもりだったけれど、
- 会社を辞めてからたった3年で、
- 会社を辞めた時の私を基準に、少なくとも3倍は成長している実感があるんです。
- 残念ながら、所得は3分の1になりました。が、それは今後の自分次第(*^□^)
何の冒険もせず、得たい未来を手に入れることは難しい、を実践しています。
そんなわけで、ご提案です。
覚悟さえあれば、弊社はとことん自由です。
あなたの実力、弊社で試してみませんか?